コスモポリタン製菓 廃業に思うこと


先日、神戸の老舗「コスモポリタン製菓」廃業のニュースを、突然耳にしました。
猛烈にショックでした。
「コスモポリタン」と言えば、僕が子供の頃から豪華なチョコレート屋さん。
店内に並んでいるチョコレートが華やかできらびやかだったことを覚えています。
ハイカラ神戸を代表する老舗の廃業は、翌日には地元新聞等のマスコミでも発表され、
一般の人々にも知れ渡ることとなりました

僕自身、神戸で生まれ育ち、震災を越えて、今、ひとつの時代が終わったように感じます。
現在、同じ神戸のチョコレート屋として生きているので、
80年というお店の歴史の重みを、おそらく一般の方達よりも強く感じています。
コスモポリタンでは、チョコレート屋として、チョコレートの製造から行っていました。
チョコレート屋にとって手本のような店でした。
80年も前に、異国の地でチョコレートを製造し、販売していくことは、
材料の調達も非常に困難だったと思いますし、
現在では想像できないくらいのご苦労をされたことと思います。
今でも、チョコレート屋って苦労が絶えないのに…。

ちょうど今から25年前、まだフランス菓子が一般化していない頃、僕はこの世界に飛び込みました。
神戸「アラン・カスケビッチ」で働き始めましたが、当時は全然お菓子が売れなくて、
一日一万円の売り上げもなかったことを覚えています。
だって、フィナンシェも、ガレット・ブルトンヌも、みな、知らない時代でしたから。
文化を生み出すこと、その第一歩を歩み始める勇気。
フランス菓子を日本に広めたアンドレ・ルコント氏、日本のフランスパンの父フィリップ・ビゴ氏、
そして、フェードル・モロゾフ氏。
モロゾフ氏とは面識はありませんでしたが、今の自分があるのは、モロゾフ氏をはじめとする
先駆者達のおかげかもしれません。

このニュースを耳にした翌日、三ノ宮センター街の「コスモポリタン」に行ってきました。
もう既に、閉店のお知らせと廃業の告知が店頭に掲示されており、
店内を覗くと、備品等が寂しげに積まれていました。
昭和の匂いが内装等に充満していて、子供の頃に見た、あの華やかさはもうありませんでした。
2〜3年前に、ふたりの息子を連れて、ティーサロンでお茶を飲んだことを思い出しました。

PBも80年続くか? それはわかりません。
ただ、チョコレート文化を根付かせるという思いは受け継いでいきたいし、受け継いでいって欲しい。
今の子供達が大人になって、今の自分が「コスモポリタン」というチョコレート屋に思うことを、
PBというチョコレート屋さんに思ってくれたなら ----------                 
2006年 夏の蝉時雨の中で      

*1926年、来日したモロゾフ一家は「F・モロゾフ洋菓子
店」を開業。神戸の夏の気候に驚き「ナポレオンは冬の
ロシアに負けたが、私は日本の夏の暑さに負けそう」
*同じ年にモロゾフ一家は退社し、トアロード103番地の
店を「ヴァレンタイン洋菓子店」と改名し新たなスタート
を切った。ヴァレンタインは息子さんの名前。
*神戸空襲で店が焼失し、戦後「コスモポリタン製菓」と
改めた。統制外の蜂蜜を買い付けて、神戸市民にいち早く
お菓子とチョコレートを提供した。
*店内には「モロゾフ一家がコスモポリタンの商号でしか
商売をしていない」と記するドキュメントが掲げられてい
た。ルーツは私達と高らかに宣言するがごとくに。

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